浄土真宗本願寺派 光明山 光源寺

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光源寺

光源寺は、築地本願寺の寺中寺として江戸時代に創建されました。関東大震災後の区画整理により築地から当地へ移転しました。

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浄土真宗の仏事としきたり

荘厳(おかざり)のしかた

仏壇の荘厳(おかざり)のしかたは、各派によっても多少違う。また、法要の種類によっても違ってくるので、住職に相談するとよい。浄土真宗では本来、位牌を用いる習慣はなく,それらは礼拝の対象ではないので、仏壇には置かないようにする。位牌を用いないのは、それらに故人の霊がやどっているのではないかという、あやまった観念を抱き、浄土真宗の絶対他力の教えをくもらせるおそれがあるという理由からだ。

浄土真宗の葬儀・法要の意味

仏事というと、死者の冥福を祈り、仏を供養し、僧侶に施しをすることであると考えられてきた。これは江戸時代以降、死者のための年忌法要が仏事の中心となり、そのために死者の追善のための行事と考えられるようになったからだ。しかし、浄土真宗では年回法要(年忌法要)は故人をしのぶとともに、自らも仏法を聴聞し、仏恩に感謝する行事として行われるものである。親鸞自身「親鸞は父母の教養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず」(「歎異抄」より)と、亡き人への追善の供養のために念仏をとなえたことはないと述べている。縁あるいのちを真実世界へと導くためには、まずもって、私が仏となる道を歩むことが肝要である。その意味で、仏事は阿弥陀仏のお慈悲を仰ぎ、仏法を聞く縁としてのぞむべきである。葬儀も、亡き人に永遠の別れを告げるための儀礼ではなく、阿弥陀如来の願力によってふたたび浄土で会えるという思いを確かめあう法会である。葬儀には昔からさまざまな迷信があり、現在にもそのまま伝えられているものがある。たとえば日の吉凶、守り刀、逆さ屏風、魔除け、死装束、六文銭、塩をまくなのである。浄土真宗ではこうした迷信は一切必要ない。

彼岸会(三月、九月)

お彼岸は春分の日と秋分の日を中日とする前後三日間の合計七日間をいう。彼岸とは、此岸に対する言葉で、私たちが生きている迷いの世界が此岸であるのに対し、彼岸は悟りの世界、浄土のことをさす。彼岸という語は、正しくは到彼岸の略で、その語義は、迷いの世界から悟りの世界へと至るための修行を意味している。浄土真宗においては、悟りの世界すなわち浄土へ至るための修行は、阿弥陀仏が成し遂げて、南無阿弥陀仏のお心を聴聞し、念仏を申す人となることを確認する法縁としなければならない。仏壇をきれいにして、季節の花やお供え物をしたり、家族そろってお墓参りをする風習も大切だが、お寺で法要があれば、すすんで参詣し仏法に耳をかたむけたいものである。

 

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